漢詩を読み、たしなむことにどのような実益があるかを説こうと思う。 1.論理的な思考力が養われる。 漢文は日本語とは語順が違い、主語と動詞と目的語がどこでどう並んでいるかを把握せねばならない。まずここで、日本語とが違う言語による思考方式に触れ、学ぶことができるわけだ。 実際に漢文を書いてみると分かるが、日本語とは根本的に文法が違うので、自然な文章を書くにはどうすればいいか自然と頭を使うのだ。これは、外国語の学習においても大いに益する所がある。 単なる思考力だけではなく、心情の機微も分かるようになる。漢詩には様々な感情を表す言葉があり、それぞれが微妙なニュアンスの差異を持っており一つとして同じ言葉はない。 これを学んでいく内に、自分自身の微細な感情や気分の移り変わりに対して説明することができるようになるだろう。語彙が貧しいと、人間は自分について説明しにくくなるし、それは人間関係をぎくしゃくさせてしまうからだ。 2.工夫の仕方が分かる。 漢詩には押韻や平仄などの制約があるが、その制約の中で作者がどのような苦心を経て名句を生み出しているかが理解できる。特に絶句や律詩の場合は歌える内容に限りがあるので、どういう風に中身を詰め込んでいるか、よく吟味するのは有意義と言えるだろう。 3.様々な古典の存在が分かる。 漢詩は基本的に様々な作品からの引用で成り立っている。漢詩の注釈を読むと、その出典は実に様々であることが分かる。そこからまたさらに古典の理解が深まる。何も四書五経や正史だけが重要な書物であるというわけではないのだ。 また、同じ古典を扱ったものでも、いつ、誰が注釈し校訂したのかによって解釈が分かれる。それによって時代ごとにどう古典が見られたかを大まかに理解することができる。 漢詩は基本的に過去の詩を参考にしている。昔の人の名作を参考にする、というのは古今東西行われてきたことだ。そこからまた座右の銘を引き出すことができる。 4.自然や動物の描写などから、生命に対する知見が広まる。 漢詩においては自然の雄大さは主な題材となってきた。 そういう所から世界の地理が分かるし、実際にそこに行って現在どんな光景が広がっているか確かめたい、という好奇心の発端にもなるだろう。また、当時どういう花や動物が賞美され、どういう扱われ方をしていたかを知ることもできる。 5.漢字への理解が深まる。 漢文を読むと、同じ字であっても、日本語で使われている漢字とは違う意味を持っている場合がある。また時代によって独特な意味合いで使用されていることが分かったりする。たとえば「遊仙窟」という作品があるが、この題名の中の「仙」とは仙人ではなく美女である。それは当時の俗語的用法であった。 こうした漢字の用法を調べていくと、漢字はそれぞれの場所でそこになぞむ形で別々の歴史をたどってきたのだ。その地域にしかない漢字(いわゆる国字)の存在がまさにその証左。日本語の漢字は、何百年もの間日本で独自の発展を続けてきたのだ。それゆえに中国や韓国の漢字とは別の文字であると言える。 6.人間の心理が分かる。 漢詩の中では人間の感情が豊かに歌われている。それを丹念に読み解くことで、人間の奥底を推し量る技術が培われる。また、時代ごとに人間の心がどういう風に発展していったかを通観することができる。 文学を学ぶのは単なる精神的充足を得る以上に実際の利益があることを、我々は主張しなければならないのだ。 文学を通してどのように実践的な技術が得られるかを常に考えるべきである。 |