ネットスラングについて

 ネットスラングなんてものは使わないに限る。
 そもそも仲間内でだけ通じる言葉を使うなんてことは避けるべきなのだ。それは彼我の間に認識のずれを生むし、無用な軋轢の原因になる。画像リプというのもこの範疇に入る。
 大抵のスラングやミームは下品だ。ネットで使われている言い回しは、それがすっかり人口に膾炙してしまっている場合であっても、よく観察してみると上品なものであることはまずない。たとえ誉め言葉的な意味合いを持つ言葉であっても、どことなく薄ら寒さがある。そもそも人間の言葉は悪口を言うことに特化しているから仕方のない部分もあるが、群れでひたすら内輪受けを狙うネタをはやしたてていくと、下品さはどんどん加速していく。そして外の人間から厳しく叱責を買うことになる。特に、元から政治的な意味合いのある言葉ならなおさらその指摘は鋭い。だめとは言わないけれどそういう風に使うか……?と。
 そしてそんなミームを何の躊躇もなく使う人間を見ると、やはりインターネットは人間から品性を取り除くと言ってもおかしくない所がある。そんな危険な物がSNSにのさばっているのは不思議としか言いようがない。色々な人が聞いてどう思うかは常に考えるべきだろう。だが、インターネットの構造はどうしても人を集団に押し込めてしまう。そこが何よりも危うい。
 人は言葉を使う生き物なのに、逆に言葉に人の自我が取り込まれてしまうのだ。それを知っている人間なんてごく少数に過ぎないのに、特定のネタに入れ込み過ぎるといつしかそれが誰でも知っているものだと錯覚してしまう。そこに理性の陥穽がある。あまり思い出したくないが、このせいで僕も恥ずかしい思いをしたことがある。だからこそ、最初からネットで話題のネタに便乗するのはよした方がいい。全ては、自分の身を守るためだ。理解せねばならない。人は言葉を使い、言葉に使われる立場にあるということを。
 とはいえ、一部の人間にだけ通じる言い回しで盛り上がることの全てを否定するのも堅苦しい。時にはそういうのが軽妙で洒脱な雰囲気を添え、場の空気をなごませることもある。見れば分かるし、元ネタを知っていればもっと分かる的な言い回しが好ましいのだ。
 同じように、自分の言葉ではなくあえて他者の言葉を借りる、和歌の本歌取りや漢詩の典拠などはまさに、分かればもっと面白い物の最たるものと言える。これらは巷のネットスラングなどよりはもっと深い思慮の元に行われるものであり、いかに人間が自分の知識の豊かさと、それを生かす想像力の巧みさを理解することのできる絶妙な技術なのだ。


戻る