龍騎二週目感想

 龍騎の公式配信を見終わった。
 僕が龍騎を観たのはこれで二回目になる。最初は最寄りのビデオ店に行ってDVDを借りつつ観ていたものだが、もうあの頃がだいぶ昔のことのように思われてきた。しかし、結末や設定が分かった状態でもう一度見てもその面白さは全く色あせていないし、むしろ今回の視聴であらたに気づいたことも多い。この場面って割と序盤なんだ!? とか、もう少し長めのシーンだったのか! とか、細かい驚きの方が多く感じられた。特に、クウガ・アギトに特有の物だと思っていた『余韻を含んだ爆発音』が龍騎本編においても若干数使われていたというのは実に意外な事実であった。
 すでに話の内容は分かっているはずなのだが、半年かけて観るとやはりこの先どうなるんだろうと気になり、引き込まれて仕方ないのだ。僕は想像以上にこの作品に対して深い愛情を持っているらしい。

 龍騎は戦いの物語としばしば言われる。しかしそれは単なる一面に過ぎない。その『戦い』とされているものも、大体は彼らがやむにやまれぬ選択の末に出来上がった地獄でしかないからだ。
「戦わなければ生き残れない」と次回予告ではしばしば連呼されるが、実際にはライダーたちの誰もが戦いに乗り気なわけではない。むしろ戦いに拒否感や後ろめたさを感じている人間もいるし、逆に気心を通わせる者すらいる。当然神崎士郎にとって彼らが戦いをためらうのは不本意な事態なので、何としてでも戦いを加速させるように仕向けるのだが、このライダー同士の常に緩急の変化を伴う関係性はどこか安心感を与え、しかしはらはらさせる。真司と、その周りを囲む人間の間には、常にある種の不安さがある。信頼感を築いているように見えても、どこかで崩れてしまうような危うさがある。蓮と真司の関係は、もし龍騎以外の物語であったなら堅い紐帯を結んでいたかもしれないが、彼らを覆いつくす苦悩が、決して無条件の共闘という風にはことを進めない。この不和が話が進めば進むほど重苦しい空気としてのしかかってくることになるのだが。

 本編ではないが、TVスペシャルの13ridersで高見沢社長が「人間はみんなライダーなんだよ」とつぶやく。仮面ライダーが正義の味方であるという先入観があるとこれは人間の正義感や良心への信頼にとれるが、龍騎の中では全く逆の意味にひっくり返る。真司が一番他の作品の定義ではライダーらしいが、この世界においてはむしろ彼こそが最もライダー的存在から遠い。この事実が静かな絶望として、観る者の心を打つ。だが、それだけでは終わらない。
 ライダーとしての戦いに身を置いて行く中で、誰もが懊悩する。そしてその中でもがきながら死んでいく。それがこの物語を貫く法則のようなものだ。英雄になることを求めていた東條や、特にこれといった葛藤がなく、ひたすら幸福になることを目指していただけの佐野、放逸を極めつづけた浅倉でさえも、苦しみを抱えた人間として果ててしまう。この戦いは、あらゆる欲望に目のくらんだ者たちを人間にしてしまう。この戦いに身を投じた者はみな、苦しんで死んでいく。その痛みの種類や長さがどうであれ。
 それにしても本当に、真司の最期は儚さというか、切なさに満ちている。変身していなければただの普通の人間であるということを最後の最後で思い知らされる。
 間違いなく彼も英雄の一人であったのだ。ほとんど誰にも知られないまま、ひっそり死んでいく様は宗教的でもあるというか、英雄とはこういう者のことか、と思いを馳せずにはいられない。
 幾多の願いを乗せ、覆していく非常に壮絶な戦いの果てに待っていたものは、あまりぱっとしたものではない。兄妹が絵に覆われた空間で絵を描く、最後のあの光景は美しいものではあるが、一体何が起きているのか判じ難いものがある。この辺は観客の解釈に大きく委ねられる所だ。
 すっきりしない終わり方ではあるのだ。一応戦いは最初からなかったことにはなったが、神崎士郎も結衣ももはやこの世の存在ではなくなってしまい、義母も孤独な身の上になってしまった。クウガやアギトとは違ってこの戦いは誰にも記憶されず、最初からなかった事実としてそのまま忘れ去られる。このスケールの閉塞感や小ささが先行する二作との実に印象的な対称になっていたと思う。最終話の予告におけるあの編集長の言葉が、この叙事詩の結末の句としてあまりに印象深く穿たれている。
 仮面ライダーは今では夏に放送が終わるが、この頃では冬に終盤が来る。ライダーたちが減り、物語が終わりに近づいていくこの寂寥感は、この季節でなければ演出できないものだ。あらゆる物の終焉と季節が相関して心理に訴えていくこの演出は、クウガでもしみじみと感じ入ったものである。

 様々な登場人物が現れては去っていくストーリーは壮大なドラマを演出している。そしてその人間模様に影を落とす命の軽さが美しいほど残酷だし、実際終盤は胸の焼けるような展開の連続なのだが、決して緩い空気やエンタメ性をなおざりにしているわけではない。モンスターを召喚するカードバトル形式の戦いは見た目からして派手でかっこいいし、まびさしのついた兜のような顔をしたライダーたちのデザインは前後の作品に比べても唯一無二の外連味があるし、現実とは異なる鏡の世界に入って戦うという、「この世界のすぐ隣にある異界」が存在している世界観が、日常とごく近い距離を演出しているものとしてなかなか秀逸なのだ。よく、現実世界への被害を防ぐために結界を張って戦う、というような作品があるが龍騎はこれに関する設定を整えているのだ。
 いずれにしても龍騎は平成ライダーシリーズにおいて影響力の強い作品となった。多数のライダーが登場するという特徴は鎧武などに継承されたし、玩具の中に必殺技を発動する手段がギミックとして組み込まれているのは後発の作品でも継承されている。

 アウトサイダーズの第一話が公開され、王蛇のサバイブ体という新フォームが明らかになったことは記憶に新しい。
 王蛇サバイブのけばけばしい見た目は浅倉らしいと思うが、ナイトや龍騎のサバイブ体に比べると豪華すぎないかと言う気はする。彼らを彩る金の装飾はもう少し落ち着いた配色だからだ。


戻る