アルハンブラ物語感想

 アルハンブラ物語(齋藤昇訳、光文社古典新訳文庫、2022/7/3)読了。
 アメリカ人作家アーヴィングが国の公使としてグラナダに滞在した記録がつづられている。それは日常に関することもあり、歴史に関することもあり、作品自体が一種の小宇宙を成していると言ってもいい。この構成には、物書きのはしくれとして実にうならされるものがある。
 ムスリム側の視点に対してもかなり客観的に受け取ろうとするアーヴィングの態度には好感が持てる。
 そうそう、あの時代にはアンダルスの王や兵隊は割とヨーロッパ人と変わり映えのない服装をしていた……という記述は割と重大だ。ヨーロッパ人による肖像画だとボアブディルやイブン・アフマルは結構西洋風の格好をしているのだが、あれは決して歴史的に不正確と言うわけではないのだな。
 ムスリムとキリスト教徒の間には決して単なる敵対には終わらない奇妙な友情があった。作中で語られる伝説でも、たとえばキリスト教徒の騎士とムスリムの王女の間に恋愛感情が芽生えたりするし、キリスト教徒の庶民でもムスリムの商人と結託して何かをしでかすという話が語られている。後ウマイヤ朝で、キリスト教徒が信仰の実践を認められていてもその行動には基本的に制限があり、時として迫害の憂き目にもあったし、キリスト教圏が力を盛り返して以降は立場を逆にして同じことが起きた、あの薄暗い史実からはうかがい知れない一面だ。
 少なくとも一般市民の間ではかなり混じり合っていたのだろう。アンダルスでも、キリスト教の祝祭にムスリムが参加することを禁じる法令があったようだが、このことは二つの宗教間の混合がどれだけ盛んだったかを伝えてくれている。そしてそれはかなり長くの間続いたのである。ムスリムがその死を悼むなど、決して単なる憎悪ばかりが募っていたのではない(もっとも、アメリカ先住民に対してはそのような余裕は全くなかったおのだが……)。
 ナスル朝は文化的には興隆した時期である。しかし政治的には完全にカスティリャに従属する他なく、北アフリカとも相容れることはできず、かつてのアンダルスの復活など試みるべくもなかった。しばしばその内部で政変や紛争が勃発したのも、そういう歴史の袋小路に陥ってしまった事実への虚しさや恨みが蓄積されていったからだろう。この寂寥感もまた、後世の人間の焦燥を掻き立てるゆえん。
 しかし、注目すべきなのはこの作品が19世紀前半の成立という所だ。近代化や内戦以前の、人々の古い心性が幾分か残っていた時代の光景を活写してくれているのである。なるほどスペイン人、特にアンダルシアの人々の純朴で敬虔な精神は諸民族の胸を打つものがある。まるで現実とは思えないおとぎ話のような出来事が描写される。だがそれが嘘か本当かは確かめる術はないし、さほど重要ではない。あの時代には、現実と幻想の境界は曖昧だったのだ。宮殿に隠された金銀財宝の伝説も、過去の栄光が断絶することなく語り継がれていった証拠なのだ。人々は、その二つの世界と混然一体になっている。
 どうしても歴史の陰に隠れてしまいがちだが、アンダルスの文化はもっと紹介されるべきではないかと思うのだ。詩にしても、音楽にしても、優れたものがあまたとあるのだから。

 誤字が多いのと人名表記がだぶっている(ロデリック王とドン・ロドリゴを併記する箇所など)のは少し気になった。ここら辺の翻訳の粗は改善されるのを期待したい。


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